5.命の言葉

天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。
話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。しかし、その呼び声は
全地に響きわたり、そのことばは、地の果てまで届いた。
(詩編19.1)
 美しい生命の星、宇宙船地球号。地は回転し昼夜を造り地軸の傾きで春夏秋冬を形成する。太陽熱で海水は蒸発し雲となりやがて大地に恵みの雨を降らせる。地は潤い植物が成長しそれらは生き物の食物となる...。この自然の摂理と素晴らしい秩序を見て下さい。更に生命の神秘、特に人間の体はその機能や仕組みが明らかになるにつれその精巧さには驚かされるばかりです。誰でも一度はこの自然は素晴らしく良く出来ていると感心した事があるでしょう。

 「初めに、神(創造主)が天と地を創造した....」 これは聖書の一番最初の記述です。聖書には創造主についてはもとより、宇宙の構造とその始まり、人間の創造、人生の意義、そして未来についてまで色々と記述されています。

 ところでこの世界は造られたものならその目的がある筈です。まさにそこなのです。創造主の存在が解ったとき人は初めて生きる目的を見出すことが出来るのです。聖書には人間は他の被造物とは違い特別な目的を持って造られたことが記されています。それは驚くなかれ「神の栄光」を表す為であるというのです。全宇宙を造られた全能者の栄光の為に...。なんと崇高で光栄な目的ではないでしょうか。与えられた自由意志のもとで神と共に生き神を喜び人間も互いに愛し合う世界。これが神が意図された本来の世界だったのです。この事が解ったなら老人であろうと病人であろうと希望が湧いてくるでしょう。「見よ、それは非常に良かった」と神が満足されるほど最初の世界は完璧でした。では何故このような悲惨な世界になってしまったのでしょうか。
 人間の堕落はサタンを通して訪れたのです。サタンは最初の人アダムを巧みに欺き神に背かせたのです。人は神との約束を破りサタンに従ってしまった。以来、神と人間の信頼関係はピリオドを打ち地球の支配権は人間からサタンに移ってしまったのです。その後は我々の知る、争いと戦争の絶えないこの悲惨な世界となるのです。 しかし神はなおも人間を救うべく計画を立てられました。神のひとり子「イエス・キリスト」をこの世に遣わされたのです。今から2000年前のことです。ところが事もあろうに人間はこの救い主を十字架につけて殺してしまうのです。これもサタンの仕業ですが実はイエスが十字架につけられることは神の計画であったのです。神は人間を愛していますが罪を持ったままの人間を受け入れる事が出来ません。そこで神のひとり子を人間の罪の身代わりとして罰し、このイエスを自分の「救い主」として受け入れた人々を救うことにされたのです。罪ある人間を救うには全く罪のない身代わりが必要だったのです。神はあなたを愛しておられます。その愛の表れがあの十字架なのです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠の命を持つためである」(ヨハネ3.16)
 これが人類を救う為の神の計画なのです。信じるだけで救われるとはむしが良すぎるか。そうかも知れません。しかしこれこそが神の知恵なのです。何故ならこれほど万人に平等な救いの方法はないからです。身動き出来ない重病人も、貧困のどん底にある人も全く平等に救いにあずかる事が出来るのです。必要なのはひとつだけ。それは砕かれたたましいとへりくだった謙遜な心です。高慢な心は神を信じることが難しいでしょう。この世の作られた宗教は救われるために「金」や「行い」を要求します。ここに人間の知恵の限界があります。ところで救われるとはどういう意味でしょうか。それは究極的にはたましいの救いのことですがもっと身近な事を言えばやがて起こる「人類の破局」からの救いも含むのです。イエスを信じる者はこの先、世界にどのような事が起ころうと確かな希望を持つことが出来るのです。



   

6.罪と罰

「不正を行う者は益々不正を行い、汚れた者は益々汚れを行え。
義なる者は更に義を行い、聖なる者は更に聖なる事を行うままにさせよ。
見よ、私はすぐに来る。私の報いを携え、それぞれのしわざに応じて報いるために。」
(黙示22.11)
 人間は「土の器」と言われます。何を入れる器か。それは神の霊です。人間は百パーセント土の成分で造られた神の霊を入れる為の器なのです。人はその器の中に何を入れるかで人生の生き方が決定します。サタンはこの器の中に自分の汚れた霊を入れるために存在しています。この世界は人間をめぐっての神とサタンの激しい争抜戦の場なのです。サタンは人間が「悪」を選択し裁かれることを願い、神は人間が「義 」を選択して報酬を得ることを願っています。どちらを選ぶか。それを選ぶのは人間に委ねられているのです。人間はプログラムされたロボットではなく選択の自由を与えられています。「自由意志」...なんと重みのある言葉ではないでしょうか。神の人類創造計画の中で、人間に与えた自由意志は絶対的な大前提なのです。しかし自由であるが故に選択した結果の責任は本人が負わねばなりません。人類はその自由意志を乱用し身勝手な世界を築いてしまったのです。
  この悲惨な世界はサタンによってもたらされました。サタンの人間操作は人に「思い」を入れる事により行われます。しかしサタンも人間の意思に反しては何もする事が出来ません。人はサタンの語りかけに同意するから操られるのです。サタンは人間の中にある罪の性質を利用します。もし人間に罪が全く無かったならサタンは手も足も出ないでしょう。残念ながら人間には拭い払う事の出来ない生まれながらの罪の性質があります。救い主イエス。何からの救いか。それは罪からの救いに他なりません。日本人には罪の意味が良く理解出来ないかも知れません。聖書で言う罪とは「的を外す」ことです。神と共に生きる為に造られた人間が、神に背いて歩むならそれは本来の目的から外れたことなのです。目的を達しなくなった車はスクラップにされるでしょう。しかし神はなおも、一人でも多く救われるために「時」を延ばしておられます。何の時か。冒頭の聖書の言葉を見て下さい。それは神の裁きの時なのです。
 イエスは十字架で一度死なれましたが三日目に甦られました。そしてこの世界に再び来られます。今度は栄光の君、人類の裁き主として来られるのです。神は愛なる方ですが同時に罪に対しては厳しく罰せられる方です。しかしイエスを救い主と信じた者はその身代わりの死により罪が帳消しにされるのです。神を信じるか、信じないか。その選択結果は文字通り天国と地獄の違いとなります。私たちは終りの日に全ての事を神に申し開きをしなければなりません。「私は、あなたに人生を与えた。その人生をどのように用いたのか。私とあなたの関係はどうだったのか」...と問われるのです。



   

7.未来の出来事

いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、
夏の近いことがわかります。そのように、これらのことの全てを見たなら、あなたがたは、
人の子(キリスト)が戸口まで近づいていると知りなさい。
(マタイ 24.32)
 これはイエスが再びこの世界に来られる前にはその前兆があることを述べています。前兆とは人間の罪の増大や国と国の敵対、地震やききん、自然界の変異など今、世界で現実に起こっていることがらです。イエスが来られる...。この近未来の事件に関し人々の思いは二分されるでしょう。それはノストラダムスのように「恐怖」と感じる人々と、もうひとつは2000年も前からこの日を待ち望んできた人々とにです。神との関わり方で明暗が分かれるのです。 
 これから世界は益々暗雲色濃くなっていくでしょう。 サタンは自分の時の短いことを知り、神への敵対行為を更にエスカレートさせるからです。人々の愛は冷え、道徳は悪化し、悪が栄え、良心をねじ曲げないと生きていけない
時代.....。  聖書には、歴史上かつて無かったような悲惨な出来事により人類が自滅寸前まで到達することが預言されています。これは人間の罪の結果として起こることです。そして最後まで神を拒みサタンに従った人間に対する神の裁きの時でもあります。サタンの支配する世界政府の樹立、数十億人規模の死、川や海の汚染による大量死、天変地異、人類最終戦争...。その時イエス・キリストが超自然的に人間世界に介入され地上の悪を討ち滅ぼします。これがキリストの再臨なのです。人間はこの時になって初めて悟るのです。神を無視して築いてきた人類の歴史は間違っていたということを.....。
主は国々の間をさばき、多くの国々の民に判決を下す。
彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって
剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。
(イザヤ書2.4)
 
 この言葉の一部が国連の建物の礎石に刻み込まれています。このことは神が介入された時に文字通り実現するのです。大人から見れば子供の争いがどのような結果を招くかは分かり切っているでしょう。だからこそ神は聖書を通し人間の将来を事前に語って来ました。それでも人間はかたくなに神を拒み続け、その歴史は神の愛に対する執拗なまでの裏切りの連続でした。そこで神は人間が自分で気付くまで成すがままに任せることにされたのです。人間が自らの手で滅亡の危機に陥った時、神がその争いに終止符を打ち、新しい世界を造り直すのです。人間は色々と考え、あたかも自分たちで歴史を造ってきたかのように振る舞ってきました。しかし現実には今まで述べてきたような壮大な神の計画中で歴史は流れてきたのです。まさに「現実は小説より奇なり」です。

 如何でしょうか。闇の支配者とその策略、近未来の出来事、これらの原因と
救われる方法など色々と述べてきました。すでにノアの箱舟も聖書に記述通りの場所と大きさで発見されています。聖書を神話と思い込まされてきた日本人も目を覚ますべきです。そして今こそ聖書を通し神の語りかけに目をとめるべき時ではないでしょうか。
  ノアの箱船




   

8.あとがき

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。
そして、そこから入っていく者が多いのです。
いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
(マタイ 7.13)
 「狭き門」...世界中で多くの文学の題材として引用された箇所です。多くの人は見た目に良く、楽そうな広い道を選択する。しかしそれは永遠の滅びへと通じる道であると言うのです。サタンの支配するこの世界で神を信じる生き方は、まさに狭き門なのです。
 残念ながら多くの人はこのページを見ても悟らないかもしれません。蒔いた種を奪い去る敵がいるからです。しかし選ばれた僅かの人は目が開かれ今何をすべきか悟るでしょう。そのような人が一人でも多く起こされるように祈るのみです。最後に、このホームページを作成するにあたり次の書籍を参考にさせて頂きました。著者並びに出版社の方々に感謝の意を申し上げます。

確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。(第2コリント 6.2)
参考文献
新改訳聖書(日本聖書刊行会)
エノク(中東問題研究センター)
大崩壊へのシナリオ(宇野正美 著/実業之日本社)
崩壊する進化論(宇佐神正海 著/マルコーシュ・パブリケーション)
終末のスターをつく(山本杉広 著/大盛堂書店出版部)
サタン(ハル・リンゼイ 著/いのちのことば社)
サタンに立ち向かえ(C.Sロベット 著/暁書房)
悪霊を追い出せ(奥山実 著/マルコーシュ・パブリケーション)
近づいている人類の破局(高木慶太 著/いのちのことば社)