証し 

ここはHP管理者の信仰の証し(あかし)のコーナーです。私がどのようにして神を信じるようになったか拙い経験ですが証しさせて頂きます。神を信じる以前の心境は多くの人に通じるものがあると思います。

 私は東北のとある田舎町で生まれ幼少時代を過ごしました。宗教的には、盆には仏壇に手を合わせ、また正月には神棚を拝み、神社に初詣に出かけるという日本ではごくありふれた家庭でした。その頃は、仏壇と神棚は全く別の宗教だなどとは知らず、またそんな事はどうでも良い事でした。単なる習慣であり特に信じている訳でもなく、神や仏の概念もとても曖昧でした。
大人になってからは「所詮宗教なんて人間の造り出したもの、未開地の原住民や弱い人間の信じるもの」と見下げるようになっていました。どんなにすばらしい教えでも人間の知恵によって造り出された「架空」のものならそれは空しいだけです。何故なら救いをうたっていても実現するはずが無く、平安をうたっていても気休めにしかならないからです。現実とは何の関係も無い造り話なのですから。私は宗教に対して全く無関心な人間になっていました。私にとって現実が全てでした。
そのような青年期を送った私にもやがて伴侶が与えられましたが、その相手は自らをクリスチャンであることを告白しました。私はキリスト教に対して偏見はなかったので特に驚きもせず「外国の単なるひとつの宗教」としてしか受止めませんでした。イエスキリストの名前は知っていましたが多くの宗教がそうであるように、そのキリストという人も回りの人が祭り上げた人だろうと思っていました。そんな私に、人生の大転換となる出来事が起こりました。
結婚して間もなく、家内が机の上に置き忘れた一冊の小冊子に目が止まりました。何気なく読んでいるうちに私はその内容にすっかり釘付けになってしまいました。歴史の先生が執筆されたその冊子には、中東の特にイスラエルについての歴史が書かれていました。私が驚かされたのは、中東の現状に対し、はるか以前に書かれた聖書の中に既に事細かく予言されていたという事実でした。聖書の預言と史実を対比させながら否定しようがないほど事細かく述べられていたのです。
聖書には過去の事だけでなく、私達の今の時代について、更にやがて起こる近未来の出来事についても詳しく書かれていました。聖書の内容は架空の神話やおとぎ話ではなく、全て歴史上の出来事、ノンフィクションであり、聖書に書かれている事が本当だからこそ現在の世界があり、中東があり、アラブ・イスラエル問題があるのだという事を知りました。聖書の記述は場所が特定出来るので調査すれば事実かどうかを確かめることが出来、実際にかつては考古学上の裏付けには聖書が用いられたといいます。
昨今のセンセーショナルな「○○の大予言」と称する読む人に恐怖心しか与えない多くの本に対し、聖書の預言にははっきりとした目的があり、それは聖書の神が人類歴史の背後にある真の神である事を人間に分からせ、その事を通して私達が神の警告に耳を傾け真理に目覚める為であると言うのです。
歴史をも支配している全知全能の神がこの世界に本当におられる.....。 この時、私の受けたショックはどれ程大きかったでしょう。今までこの世界は偶然の産物であり死んでしまえば全てが終りだ。生きているうちに面白おかしく、そして人が見ていなければ何をやっても分かりはしない.....。要領良く生きていくのが賢い生き方だと信じていたからです。
私はその夜、眠る事が出来ませんでした。初め、クリスチャンを迫害していたあの大伝道者パウロが超自然的に復活後のイエス様に逢い180度改心した事が聖書に記録されていますが、当時の私も又そのような心境でした。次の日から真剣に聖書を読み始めたのです。難解でしたがやがて少しづつ聖書が分かるようになりました。それ以後、物事を見る目や考え方、価値観が全く変わりました。神が現実におられると信じる、信じないでは、物事の考え方がこんなにも大きく変化するとは想像もしませんでした。今まで何と空しいものを追い求め、何と的を外した生き方をしていたのでしょう.....。神を知るようになってからは、人の目が気にならなくなりました。人にどう思われようと私を理解し、愛していて下さる全能の神がおられる.....。心からの平安が私を包みました。「神を知らない者は人の目を恐れる」という言葉通りのそれまでの私の人生が変化し始めたのです。
今まで当り前と思っていた自然の摂理のすばらしさ、そして私達のこのすばらしい体、この命の惑星「宇宙船地球号」.....。これらは決して偶然ではなく計算し尽くされた設計者がおられたのです。イエスキリストは私が想像していたような人々が祭り上げたのではなく、いきなり現れて自分を神であると主張したのでもありませんでした。救い主について聖書には、はるか以前から多くの預言があり、全くその通りの生涯だったのです。今まで見えなかったことが少しづつ見えてくるようになりました。......(続く)